JUNKOのゴスペル西遊記

人とのつきあいが疎遠な時代になりました。 ゴスペルを通じ、楽しいことも面倒なことも全部ひっくるめて、 仲間と感動を味わえる場をつくりたい。 次の世代へ、そんな人間づきあいを伝えたい。 こんな夢をもって、ゴスペルの旅に出ています。

「相手によし」という幸せ




今日、とある音楽イベントの打ち合わせに行ってきました。


先方さんは、建築会社の社長さんであり、
歴史や文化活動で地元コミュニティを豊かにしようと
活動されている協会の副理事さんでもあります。


つまり、競争社会の中で、
自分も人も養い続ける苦労を味わいながら、
一企業としてだけではなく、社会という
コミュニティの大切さをよくわかってらっしゃる方です。


1時間強うちあわせの間、
私にとって改めて考えることが。









私がゴスペル講師をして10年強、

「自分は歌が好きだから」
「自分の体を健康に保ちたいから」

そんな目的でゴスペルに通われる方がほぼ100%。

もちろんそうでしょう。
私もゴスペル始めた当初はそうでした。
今も、「自分は音楽が好き」ということが、
ゴスペルを継続する原動力の半分近くを担っているなと思います。



しかし、何年も講師をやっているうちに、
ギャップを感じることが多くなって来た。


何かというと・・・


イベントを主催者する方々は、
多くは街のために、地域のために、誰かのために、
努力を惜しまずイベントを企画し、
多くの力を集結させようと頑張っていらっしゃる。


その一方で、出演する側は、
その苦労や気持ちをほとんど知らずに、
自分が好きな歌を披露できる場があるから、
こりゃいい機会だと出演する。



他人本位と自己本位、
そのはざまでギャップを感じるように
なっていたのが、私の講師生活の前半。



だから、この数年、
私は口うるさい小姑のように(笑)

出演できることに感謝しよう、

スタッフさんに感謝しよう、

自分たちが気持ちよく歌えるのは、
社会があってこそ。
この活動を社会に還元しよう、と

伝えてきているのです。




私が指導する教室は今の時代には相反した
ゴスペル教室になっていると思います。

ゴスペル習いにきて、歌以外のことで
お説教うけるなんて、今の時代にはびっくりですよね。



だから、
今日のうちあわせの時に、
「私のゴスペル教室は変わってると思います」
と副理事さんにお話したら、


「あたりまえですよ。社会があってこその個人なんですから」


と応えて下さいました。

そう、あたりまえ。
そんな風にお返事してもらって、内心ほっとしながら、
やっぱりこの方向性は大切にしていこうと
改めて思った次第です。









例えば、

「これは謝礼です」
と予想外にいただく機会があったとする。

きっと、「となり近所に顔向けが立たない」
と気にする時代の日本人なら、

これを頂くほどのことを自分が出来たか、
自分よりも他にもらうべき人がいないか、
自分も勉強させてもらったからこれは受け取れないのではないか、
と考えて、懐に収めず相手に返す人も多かったんじゃないだろうか。

落語の「はてなの茶碗」に出てくるような。


今は、相撲部屋じゃないけど、
もらえるものはなんでも「ごっつあんです」「ラッキー」
と懐にしまってしまう時代になっていると思う。

それは、金銭面だけでなく精神面でも同じ。




昔、近江商人は商売が上手だと言われたそうだが、
「売り手によし、買い手によし、世間によし」の三法よしが
心得だったそうである。



今の時代は、無意識に自分中心になりやすいシステムが揃っている。
コンビニとか、ジムとか、なんでもそう。

レジで挨拶せずに、顔みずに、モノが買える。
やりたい時にお金さえだせばやれて、
やめたくなったら勝手にやめれる。

相手も人間なのに、それに違和感がない。

それに慣らされて無意識に社会がそちらに傾いていく。
あぁ、おそろしい。



社会は、

「自分によし、相手によし、社会によし」

でないと。





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